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会社概要

ABOUT

わたしたちについて

VISION

経営理念
会社は人を幸せにする道具のひとつと考え
すべての人に幸福をもたらすよう邁進していきます

取引先のお客様はもちろんですが、働いてくれるスタッフやその家族も、わたしたちにとっては“縁のある人”です。そんな縁ある人々を幸せにするためにはどうすべきか、常に問題を解決し、よりよいミライを志向します。そんな思いを共感してくれる方と共に成長し続ける、そんな会社です。

WORKS

施工実績
“ミライノマチ”を支える鉄筋を施工します

高層ビルや大型マンション、空港など様々な現場を施工しています。長年の実績、正確な施工図作成、正確な鉄筋加工、正確な施工組立、そして何よりも安全な工事で信頼をいただいております。

HISTORY

社史
“どんな時も前向きに”
みらいの誰かのために進みつづける、そんな会社です

1973年 沖縄県生まれ(宜野湾市出身)
1989年中学卒業と同時に友人3人で憧れの大都会『東京』で、鉄筋工として務める。(季節労働が盛んな時期で満期終了時に帰郷)その後、上京して帰郷してを繰り返し、17歳の時出会った会社が私の人生を大きく変えるきっかけになった今は無き〘佐藤工務店〙。
ここから歴史が始まりました。

STORY01 -創業者の下積み時代-

1992年(18歳)
季節労働社員から新入社員として研修からのスタート(自分で現場をやりたいと思い、独立心をもっていたのも18歳の時でした。・・・(笑))
若かった私は18歳で、日給が18,000円で、とても高額だったのですが、何か仕事に物足りなさを感じており、佐藤工務店と言う会社は、社員の育成に力を入れており、1年して気づいたのですが、社員になれば成長できると思ったんです。
そして、社長に『自分を新入社員として受け入れて下さい』と、お願いしたのが社員としての始まり。(快く受け入れてくれました感謝です)
入社後直ぐに現場の拾い出し(材料注文)からさせてもらう事になり、仕事が楽しくなってきたのですが、自分が思っていた以上に大変で、8時~17時は現場で鉄筋組立、帰宅後~24時頃まで図面を書く毎日、日曜日も朝から晩まで図面を書き、5月の連休が無かったら終わらなかったと同僚に話した事を覚えております。(かなりハードでした。・・・(笑))

1992年5月
初任給の話なんですが、沖縄方言で、『やー、ふらぁ~やさ、あんしなんぎさ~に、てまやっさぬ、ひきあわんあんに!』 標準語では、『おまえ、馬鹿だな、そんなに苦労して、給料安くて、割に合わないだろ!』って言われていました。 (沖縄人の良くある日常会話です(笑))
それもそのはず、正社員になる前の日給が18,000円あって月給45万円以上あったのが、 正社員になってからは約60%DOWNで月給が18万円になったのです。でも私は気にしませんでした。仕事の充実感がありましたから。(今考えると、だいぶ変人でした)

1994年7月(20歳)
初めて職長として、倉庫(300t)の現場を任される

1994年10月《 ~ 苦い経験談 ~ 》
前現場を終え、今度は某自動車メーカーの本社ビル(地下3F~1F・3000t,地上17階・800t)を社員5人と下請け業者10人の職長として現場をする事になった時の話です。
前現場で上手くできたからと、余裕な気持ちでいましたが、この3800tもある大きな現場は小さな現場と違い、先々を考えないと上手くいかないのです。
職長経験がまだまだ少ない私は、大きな現場の先読みなどできるはずがありません。それからが地獄の毎日でした。打ち合わせ時の約束事を守れず、現場監督から常に嫌味な言葉を言われ、他職の方からは馬鹿にされる日々でした。そんな状態の為、品質は悪く配筋検査の時はいつもドキドキしていました。
地上階からは、下請け業者が担当する事が決まっていたので、私が担当する1階までは、何度も一緒に仕事していた仲間に助けられながら何とか終わらせる事ができました。
《この時の悔しかった思い出が今でも鮮明に記憶に残っています。この悔しかった経験があったからこそ今の私があるといっても過言ではありません》

1996年2月《~退社~》
大きな現場の職長を経験して、鉄筋工をしたら一生馬鹿にされてしまいそうだ(自分の段取りの悪さを棚に上げ、職種が悪いと思っていました・・・)、設計士もしくは現場監督になろうと思うようになり、転職を決意し退社しました。
最終学歴が中卒である私を、雇ってくれる設計事務所、ゼネコンはありません。(あたりまえですよね・・・(笑))年も年だしどうしようか考え、では、最短ルートの大検に合格して、大学に行こうと考え、日中は鉄筋工として働き、夜は大検予備校で勉強し、翌年1997年8月の試験を目指しました。

1996年秋《・・・私を変えた年商350億の会社、佐藤工務店が倒産・・・》
退社して約半年後、私にとって大きな成長をさせてくれた、社員数2,000名を超える前会社が倒産、その事があって仕事を求め、元部下や同僚が私の勤める会社に、数名入社する事になりました。
大検は11科目中4科目不合格で見事に落ちました・・・(情けない)

1998年1月《~大きな選択~》
世の中の景気は落ち続け、私は社長に呼び出され、赤字で今年5月に本隊を無くすから、辞めるか、独立するか、決めてくれと言われました。
私は、転職を考え、前会社を退社したわけで、独立を目指していなかったので、とても悩みました。



STORY02 -創業-

1998年5月 新城工業の誕生 《・・・従業員数8名・・・》
自分たちの出来る範囲内で現場をこなし、従業員の努力のおかげで、順調に業績が伸び、大成功!!!(世の中不景気と言われる中、年末にボーナスが出せるぐらいでした)

1999年10月《・・・大成功からの転落・・・》
創業二年目に入り、一年目以上に頑張ろうと言う気持ちで、≪いざ出陣≫
従業員数が13人まで増えていき、なんにでも挑戦できる元気あふれるメンバーばかりで、仕事がとても楽しくなっていました。
一次会社の番頭さん(発注する方)がこの現場やってくれと図面持ってきました。
その現場は、鉄骨鉄筋コンクリート造2,300t(1フロアーで38スパン)の大型マンションで、新城工業のキャパをはるかに超える規模でしたが、迷うことなく請け負う事にしました。
(世の中は面白いもので、思っていたら、チャレンジできる環境がおとずれるんです。(笑))
ところが大規模現場は、思っていた以上に大変で、私は余裕がなくなり、従業員を怒鳴る毎日。そうして一人辞め、また一人辞め、現場が終わるころには、3人になっていました。
その時は、また自分の悪い所を棚に上げ、鉄筋屋自体ダメだと思い、沖縄に帰ろうと真剣に考えていました。



STORY03 -転機-

2001年1月《・・・支えられている事に気づく・・・》
創業から二年目~三年目の間に活気ある環境から、どん底に落ち、単独ではなく本隊のJVで仕事をさせてもらっていました。(私の気持ちを察してか一次会社の番頭さんの配慮だと思います・・・とてもありがたい)
その頃、私は仕事に対する熱意はとことん落ちて行っていたところに、創業からただ一人残ってくれている、仲宗根君が、次々と同級生に声をかけてくれて、次第に単独で現場を持てるようにまで、なりました。

2004年4月《・・・有限会社GUSUKU設立・・・》
会社名の由来 GUSUKU(グスク)= 故郷である沖縄ではお城の事を言います。会社名を考えている時、たまたま沖縄の雑誌の表紙にGUSUKUと書いてあったのでそれだと思い決めました。

2005年《・・・従業員の強い思い・・・》
従業員数も20名となり、皆で会社を大きくしていこうという気運が高まってきました。

2006年4月《・・・AutoCadとの出会い・・・》
AutoCadとは図面を書くPCソフトです。操作方法を覚えると、手で書くよりも正確で早く書くことができるソフトなんです。
手書きで図面を書いて不便を感じていなかったのですが、大規模現場で同業他社と半分で施工をする事になり、その鉄筋屋さんがAutoCadで図面を書いていて、初めの打ち合わせで、大きな格差に衝撃を受けて、始める事を決心したんです。
AutoCadで図面作成する事になったのですが、朝から晩まで書いても、ほんの少しだけ、手で描くよりはるかに遅く、何度も何度も手書きに戻ろうかと思ったのですが、2か月間事務所に入りびたりで、何とか書けるようになりました。もし、あの鉄筋屋さんじゃなければ、きっと後々のソフト開発するまでにならなかったんだと思います。(~感謝~)

2007年6月《・・・従業員の思いに感謝・・・》
≪・・・二次下請け会社では異例の自社ビル・・・≫それは、従業員の強い思いが形となって表れた瞬間でした。
それはひとえに今まで、たずさわってくれました皆様のご指導の賜物だと実感しております。これからも鍛練を重ねるとともに、今まで受けてきた人の優しさと厳しさをこれからの若い人に伝えていき、社会に貢献出来る会社にしていきたいと思います。



STORY04 -第3の危機-

2009年4月《・・・GUSUKU史上最高RCマンション、規模6000t・・・》
自社ビルを所有する事で、従業員をはじめ、私のやる気もさらに大きくなり、過去の経験を元に更なる挑戦をする事になった現場です。
表題の現場以外にも学校や超高層マンションも並行して施工していて、従業員数40名でも不足する過剰な施工量だったので、施工して頂ける下請会社を探すのに必死で、施工開始前には何とか人員を揃える事が出来ました。

2009年10月《・・・思わぬところに落とし穴・・・》
現場が半年も絶ち慣れてきて、生産性を重視するようになり、一人ひとりが日々の目標を立てるようにしました。その取り組みは思った以上に全体の士気が高まり、現場全体が活気づいて行きました。さらに加速し始めた矢先、弊社の従業員が墜落災害にあってしまいました。幸いにも軽傷ですみ安心しました。
この災害を機に、現場全体の安全に対する意識が高まり、良い風になると思いきや、今度は、差し筋忘れによる施工ミス、斫工事で300万円の損失を出してしまいました。
現場は、一点だけを集中するのでなく、全体を見る力を養わなければと学ばせて頂きました。

2010年《・・・リーマンショックの影響・・・》
従業員数43名、売上高3億、粗利10%の会社となり、大きくする事だけに、集中していた折、今までに味わったことの無い大不況がおとずれたんです。現場がない、応援もない、受注単価は3割ダウン、とんでもない事になったと思いました。
今までの受注単価で、粗利が10%なのに30%も単価が下がると、経営が成り立たないのは一目瞭然、同じことをしていたら、会社は必ず倒産する、どうするかを考えていた時に、中小企業安定助成金を知ることになったのです。その制度を活用して、社員教育をする事にしました。
鉄筋の事は、私が講師となり、施工図作成、鉄筋技能士組立て、出来高の計算方法などの教育を行いました。また、外部講師を頼んで、Excel、word、PowerPoint、Access、VBA(プログラミング)などの勉強をしました。(その勉強会が後に大きな物を生み出す事になるとは・・・)
その年、売上高1,2億円前年対比60%ダウン、実質▲1200万円赤字となりました。



STORY05 -新たな取り組み-

2011年《・・・同業他社との差別化・・・》
この不景気でも、経営が成り立つためには、どのようにしたら良いのかを、考え実践しても上手くいきません。色々と試した中で、やはり、施工図を書く段階で、いかにミスを無くすかが、大切な事に気がつきました。
※施工図間違えによる生産性低下の原因が数多くあります。
・径、本数、形状、ピッチの間違えによる手直し。
・現場加工の対応
・追加材手配の対応
・人員配置変更の対応
その解決方法として、AutoCadで無駄な作業をシステム化したらと考えました。
プログラミングを勉強したこともあって、分担でAutoCadから直接加工帳を作成するシステムを開発しました。これで、径、本数、形状による集計ミスがなくなり、手直し作業の減少と職長の負担軽減につながりました。

2012年1月《・・・思わぬ出会い・・・》
全国から鉄筋工事職長12名が集まる、竹中工務店が開催する、第一回プレ研修に参加しました。
実物大の躯体を用いた研修専用施設で『見て・触れて・体得する』という体験型と、現役の現場監督、設計職員との改善点を話し合う研修です。この研修は、鉄筋の品質問題をゼロにする事を目的に、総工費5億円をかけて研修所『想い』が作られたそうです。
その思いに感銘を受け、改善点を話し合う場で、私の持っている知識全てだしました。
数日が経過し、話した内容の中で、≪職長の負担軽減≫と言っていた事を思いだしたんです。
GUSUKUのシステムを使えば、解決できるかもと、考えましたが、自分たちが作ったシステムは複雑で、パソコンが得意な人でも、理解するまで時間がかかってしまう、ならAutoCadのシステム開発している、設計事務所に共同開発の提案をしたんです。
すると、おもしろい提案ですねと言ってくれて、快く受けて頂きました。

2012年10月《・・・addCad鉄筋施工図LB 販売開始・・・》
LB = Lighten the burden(ライトゥン ザ バーデン)=負担軽減
開発したシステムの販売会社を立ち上げました。
株式会社SHINKA 代表取締役 仲宗根幸一
販売の目的=職長負担軽減
販売が始まり、知り合いの会社さんで説明会を開いたり、ダイレクトメールを入れたりして、ユーザー様が増えて行きました。同業者様に購入して頂くのは、価値を認めて頂いた事で、とても嬉しかったのですが、一方、購入したユーザー様から、使い方が分からない等(大半がAutoCadの使い方)の問い合わせで、とても大忙しでした。
↑↑↑LBなのかAutoCadなのか、分からないのは当たり前です。

もともと、AutoCadを理解している方なら、使いこなせるシンプルな機能にしているので、役務の代金を省いた商品価格に設定していて、このままだと会社が成り立たないと思い、現在は、商品価値を認めた方とAutoCadを熟知している方、興味を持って連絡が来た方に、説明をして販売しております。



STORY06 -挑戦-

2013年6月《・・・二次下請会社から一次請け会社に転進・・・》
銀行さんに、ゼネコンさんを紹介して頂き、成長する事が出来ました。
今まで経験したことの無い事ばかりで、戸惑ったり、悩んだり、時には迷惑をかけたりと、思った以上に大変でした。
今では、5社のゼネコン様と取引できるようになり、ご紹介やご指導して頂いた皆様に感謝いたします。

2015年1月《・・・加工場運営開始・・・》
設備なし、ノウハウもなし、経験もなしからのスタート。
何もなしの状況ですが、唯一助かっている事があります。2010年に教育訓練で、加工場出向に行った従業員が、過去の記憶をたどりながら、加工場環境を良くしようと、頑張ってくれています。今の生産性は市場より下回る状況ですが、きっとその行動は、市場に肩を並べるぐらいになると、期待しています。

2015年7月《・・・沖縄支社発足・・・》
有限会社GUSUKU 沖縄支社長 玉城悟志 就任
業務内容
・鉄筋積算
・鉄筋施工図
・鉄筋施工図LB販売
・鉄筋経理システム販売
・鉄筋加工組立

会社情報

代表取締役 新城 博幸
設立 1998年5月
資本金 3,000万円
事業内容 鉄筋工事一式請負
積算・施工図請負
鉄筋施工図ソフト
(開発及び販売)
有資格者 一級建築士 1名
一級施工管理技士1名
二級施工管理技士1名
一級鉄筋技能士10名
AutoCadマスター10名

アクセス

所在地 〒272-0122
千葉県市川市宝2-9-23
最寄り駅 地下鉄東西線
「行徳」駅徒歩15分
電話 047-710-9045
FAX 047-710-9046
E-mail gusuku.in@nifty.com